マニラ事情 -台湾総督府 / 1930

第一 マニラ市

一月十二日朝八時香港解纜の米船に搭じてマニラに向ふ。航行四十時間六百二十六運を走破して、 十四日掃曉マニラ港に投錨す。六時頃より檢疫及移民官の形式だけの手擬を濟まして上陸す。


マニラ市は人口四十萬に近く比島政治、文化の中心地である。市街は市の中央を南北に貫流する バッグ河によって大體住宅區ど商業區さに區割されて居る。而して住宅地區は概して坦々たるアス ファルトの大道を通して、政題を始め諸官衙及學校等の近代式会壯なる建築物は周園の緑樹や芝生 さ調和よく配置されて、熱帶都市的美觀さ生新なる氣分が充溢して居る感じがある。

之に反して商 業區は街路検隆路面の舗装も亦不完全なるため凹凸甚し。而も市中到る處車馬輻輳し行人絡繹さし て實に殷賑を極めて居る。


同地は商業地にして、唯最近は重要生産品たる麻、コブラ、砂糖等の市價低落して一般に不景氣 さ稱して居ても、市中商費は外觀上大して不況さも見えず、妹に同地に滞在せし頃は比島年中行事 の魔一たるカーニバル祭直前なりし驚頗る活況を呈して居た。マニラは共地位が欧・亜・・豪四大 洲の間に介在して、交通の要衝に當り、外國船の出入絶えず。

其對外貿易額(一九二八年度)は輸入二億三千九百萬比貨にして比島總輸入貿易額の約八割九步を占め、輸出は一億五千萬比貨にして 總輸出貿易額の五割に相當して居る。而して同年度に於ける外國貿易關係入港船は一〇三八隻四、 二二八、000餘噸、出港船一0一八四、C九三000餘噸口達L、比島全體已於廿七出入港 船の約八割を獨占す。此外沿岸商業に従事する船舶の入港數は 三三七〇隻 八六一、000餘願出 港船三、四三四隻 八六三、〇〇〇除噸あり、以て其盛況を窺知し得るが、工業方面に在りては椰子 製油工場、製紙、製糖工場等有るも將來工業都市さして果して如何の程度まで發展し得るやは、何 未知數に屬すべしき思ふ。

氣候は十二月より翌年二月までを一年中の最好季節をするも、四時共に大した變化なく、銀温は 一年を通じて屋內は平均八十三、四度稀に九十度內外に上昇することありと謂ふ。

第二在留邦人的勢力

在留邦人會社及商店等の主なるものを、ぐれば

にして、マニラ總領事館管轄區域內に於ける一九二八年末の調査に操る在留邦人數は 男三、七二三 人、女一、二四三人 計四、九六六人あり。此內マニラ市及附近に在住するもの 二、七二九人 (內男 一九三一、女七九八)にして、之れを職業により大別すれば
職業.
マニラ惣領事 館管轄區域內
一、銀行會社及商店員 五五0

一、大工、左官、石工 六五0.

一、漁業仁屬石古e. 五七三三六三

一、飲食料品業二八0
一七八 一、物品販賣業
一七五
二七

さなる。而して銀行會亂は素より日本內地に在りて第一流に屬するものが多いが、之等を除く他の 個人經營の商店は經營者が齊しく、最初は全く徒手空拳を揮つて渡来し、十年乃至二十年の歲月を 高血を流して拮据奮闘の結果漸く今日の地盤を築上げれるものであり、就れも相當の資金を有し、 且っ堅實なる思想を保持して居る點は全く出稼民根性が抜切って落着きがあり、白に頼母しくも亦 心強さ感じがする。又之等邦人を指導して行く越田總領事は年雅尚敏な外交官であると同時に、日 本商權の擴張さ邦人事業の發展の為には、如何なる労苦をも厭はず、不断熱心に研究もし、又比島 政府営路者や民間有力者の間に常に積極的に活躍して彼我の連鎖となりて多大の貢獻を為して居 る。其外長い間世界各地に駐在して居り得たる含蓄を傾けて勤切なる指導をして行かれる所は實に 推服すべき所が多い。岡本副領事亦在留民の熱愛家である癒領事を補佐して現在同地邦人間に於ける唯一の金融機關である信用組合の指導監督を始め、廣範圍に於て一般邦人間に流布して居る頼 母子講に對しては、機宜の統制を行ひ又常時關係者等を戒訪して陷り易き弊害の防止に力め且つ熱 心に之れを善導して居られる。

中国人、次に邦商中主なるもの、営業方面に就て見る時は大樣左の如し。本製
品 – 正金銀行(支配人矢吹敬一氏)內國銀行其他香港、花打及萬國交通銀行等の間に介在し獨自の境地 を拓きて縦横に活動しつあり、在留邦人の金融機關に於てる相當貢献し居るが、然し之は大鵬に 會社側を主とし、為替業務に關聯する取引に局限され居る傾向がある。此外極少數者に對して確實 なる有價證券擔保の貸出を為す事ありさ云ふ者、一般在留民相手さなら別偽、同行の使命さ營業方 針を知らない邦人中には惡聲を放ち、怨嗟の聲を聞く事あるも止むを得ない次第であるが、邦人金 融機關の缺如こ謂ふ事は在留民にこり甚しく不利不便であることは否まれない。
三井物産會社(支配人安部吟次郎氏) 現在は石炭 (撫順、夕張、九州災及少量の臺灣四脚亭炭) 小野田セメント及燐寸の輸入を主さし他に一般雑貨を取扱ひ居るが石炭を以て其首位に置く。其報 入額は頗る多額に上る由にて領事館の記錄以外に比島軍部に供給して居る分は極秘に屬して窺知し 得ない。然し巨額に達して居るさ謂はれる。輸出方面は傍系の小倉商事をして麻及材木等を取扱は して居るが、將來は直接に輸出關係の事業を継管する方針にて、日下ダバオに於ける製材業を擴充
し、一方麻の買付けを行ふと共に陣容を整へて大に此方面に関しても其巨腕を伸ばす計劃を樹て、 居る。
淺野セメント會社(支配人上田鍵司氏) 比島現政府の積極政策に基く國內産業の維新的開發に伴 ひ、其の第一階梯さなるべき道路の新設擴張、河川の修理、橋梁架設等各種の土木工事旺んに勃興し つ、あり又最近目覺しき發展を見せて居るマニラ市郊外の住宅地さして New Manila の建設あり、 其規模宏大にして幾多の需要さ販路はありても內外同業者の競争激甚なる上、全然官營さも稱すべ き同國 Apo Cement 會社の壓倒的勢力には到底對抗は出來ないので、現在では甚大な打整を受けて居 る由である。 神はィーバ
ー ド ,大同貿易會社(支配人中村直三郎氏) 資本系統より言へば紅伊藤忠商店に屬す、綿布及陶器類其 他雑貨の輸入業者さして活躍して居る。輸出方面に在りては同じ紅系の古川拓殖會社と提携して麻 を取扱って居る。
比律賓木材會社(支配人安藤絹藏氏) 大阪中村清七氏の經營に係り相當活動し居る由なるも詳知 せす。年分取扱高百萬圓位なりさ云ふ。
ー 。 。
。 「太田興業會社(社長諸隈彌策氏)同氏は比島在住三十年に近くマニラ麻に就ては邦人中唯一の權 威である。人物重厚日本人會長、信用組合長其他各種組合の顧問相談役等を兼ねて居る。以て其聲望の一端を知り得べしである。同社は人を知る如く故人太田恭三郎氏によって創始せられ、邦人麻 栽培業の先覺者であり、又現に其方面に於ける信頼すべき指導者である。過去二十五年の歴史を有 し其間幾多の變遷を継來り、時に赴運の隆替典廢あちしさ雖も、能く夫等の風雲を御して今日の如 き堅陣を築き、繁榮を招來して居る事は、全く立派な偉業である。其邦家の為に貢獻したる事蹟に 就ては今更ら朗々を要せざる所である。


以上の外個人商店(內部は數名の合資組織になるものもあり)としては大阪バザーを第一に推す べし。島內主要地に支店を有し日本及歐米雑貨の販賢に從事す。マニラ本店の年分費上高約二百萬 比貨に達する由、之れに次ぐもの日本バザー年分買上高約百萬比貨、神戸バザー年分費上高七十萬 比貨等あり。又森自轉車店あり、店主森貞藏氏る亦成功者の一人にして現金を有する點に於ては第 一人者であるさ謂はれて居る。此外二、三流の商人と雖も齊しく相當堅賞なる發展を遂げて居るの で、今日邦人の地盤は實に牢乎として抜くべからざる鞏固さを持て居る。此點は他の南洋各地に於 ける邦人の發展に比しても確かに誇るべき特色があると思ム。 「又市內に水屋組合と稱する一の勢力がある。水屋は其構呼の卑俗にして輕視さる感じがあるも、 邦人の斯業に對する投資額は大路七十萬比貨に上り、其數百數十軒に達して居るさ云ふ。即ち満涼 飲料、水菓子及煙草等を貫るカフェ類似のものである。素より店舗の位置及設備の大小によりて差
ありと雖、大は一萬比貨より小は二、三千比貨の價格を以て店舗の賣買が行はれ、一軒の買上げ一, 日三十比乃至百比に及ぶ。水屋組合さいふものありて同業者を監督し、不當の競争を防ぎ互助發達 の機關として存在して居る。然し時に不心得者ありて組合の規約を破り不當の競争をなして營業す る者もあるが、組合に於ても大して統制の利かない代りに本人も亦自滅する外は無い。然し水屋業 に對する自分の考へは今日職業に貴賤は無い、從つて儲かる仕事なら進んで行るべしではあるが、 一方ょく考へて見るこ近年漸く海外珠に南洋方面に於ても所謂娘子軍の跡を絶ち兎に角大手を振っ て出掛けられる我國の海外發展である。別に一等國民を標榜して彼是論議するのでもないが、水屋商 費の如きは、他日發展の素地を作る一時的過程としてなら格別、然らずんば折角海外まで進出して 「日本人でござい、水屋でござい」を納つて居る様では洵に情ない仕儀だぞ痛感した。何とか他に轉 出する考案は有るまいか。其の證據には在留同胞る餘り水屋方面には立寄らの樣であり、水屋子も 亦自ら卑下する所を見れば自他共に稽ふべきであると思ふ。況して稼ぎに來て居るのだ、恥も外聞 もあるものか、きつさを儲けてさっさと引揚げるんだと云ふ手合に引懸つては折角娘子軍を追捕っ ても所謂門前の虎、後門の狼再び國家さして手を焼く樣な事になりはせれかを懸念さるるのであ
る。
以上の外更に特殊の技能を以て相當成功して居る邦人言 二三に止らない。例之土木建築請負業者の如き又園裁方面の仕事を遣って居る花捧栽培者の如き之である。一體に比島各地に於ては木造 家屋が多いので日本人大工の仕事は非常に忙しい様である。又何處に行っても此職の人が必ず共地 方では多數を占めて居る。 最後に漁業に就て言へば南洋各地到る處漁業は全く日本人の獨壇場さ云ふ觀がある。 比律賓に於 ても其通り比島各地に於ける其總數無慮六百名、其內マニラ附近に於て従事して居るもの約三百八 十名さ稱して居る。主に廣島縣人を沖縄縣人である。漁獵も亦主さして近海漁業であり凡て比律賓 人の名義で行って居る。是は言ふ迄もなく比島の法律に據りて外人に對しては領海内に於ける漁業 を禁止して居るからである。漁業者の間には夫々組合ありて組合員に關する事項は一切其組合に於 て之れを處理して行き、決して他の在留邦人に關與せしめない樣である。即漁夫は何れも相當の現 金を所持して居り、組合は又組合で豊富なる資金を擁して居るから決して他よりの支援を必要さし ないのである。例へば時々臺灣邊りより漂着する者(漁船年七、八回は有る由)等に関しては直ちに 組合に於て親切に世話して遣り、場合に依りては、漁船の處分より乗組員の歸還旅費迄引受けて面 倒を見るさ言ふ風にて、宛然たる漁業王國を築いて居る。

第三金融關係

在留邦人中會社及大商店等は正金銀行始め、外國銀行をも幾分取引關係を有する者もあるが、一般 的には未だ銀行によりて資金關係を調節して居る者莫し。尤も此點は正金銀行が為替業務を本來の 使命さする為地方的貸出には幾んざ手を出して居ないのに因るものである。 二、三の邦商に對し、 輸出手形に關聯して時々前貸の形式で年々數百萬比貨の當座貸を許して居る。此外には確實なる有 價證券擔保で、極めて狭き範圍に於て 短期の融通を與へて居る位である。然し在留民の大多數 は、正金銀行の立場さ此關係を穿違へ、正金銀行は我々同胞に金融の便宜を與へないで資金を取込 む一方(預金及內地送金を指す)で決して貸出をしない、怪しからん話であるさ不平を鳴らして居 る。此事は矢吹支配人も此方の立場を考へて吳れずに、困った事を謂ふと説かれた程で全く云ふ方に も無理がある様に思ふ然らば外國銀行は如何さ謂ふに或商店主の談によれば外國銀行(主として 比律賓の銀行を指す)は比較的容易に貸出しをして英れると云る話であつたが、又之れを正反對な話 を某大會社の支配人より聴いた。同社の如き世界有數の大會社がダバオに於て僅々五萬比貨の融通 を申込みれるに對し、相手の比律賓國立銀行は充分なる擔保を提供せよさ申出でたる由真偽果して 何れか判然しないが、吾々は無論後者の說を信じて外國銀行の意岡の一斑を窺ムに足るべしとする。 而してマニラに於ける外國銀行としては
The Yokohama Specie Bank, Limited The Hongkong and Shanghai Banking Corporation The International Banking Corporation The Chartered Bank of India, Australia and China
の支店がある。其外、內國銀行としては The Bank of Philippine Islands, The Philppine National Bank を始めさし荷六つの銀行あり。然れども上記二行が最も勢力有るもので、雨行共に其創立は一 八五二年に係り、特許銀行として齊しく紙幣發行權を有して居る。
何是等內外諸銀行の最近の業績を總括的に言へば、International Bank を除いては一齊に資金難の 為充分なる活動出來ず、妹に內國銀行中の或者には數年來重役關係の情實的貸出巨額に達して危機 を胚胎して居るもの己ありて聞けり。
金利は大體當座貸年九步見當手形割引は一割乃至一制二歩、預金は當座二步五厘、特別當座四步 乃至四分五厘、定期六步見常なり。
馬尼刺日本人信用組合 一九二七年在留邦人中一部有志者の發案に因りて組織されたる唯一の金 融機關である。資本金拾五萬比貨、一株の掃込金二十比貨にて總數七千五百株さす。何分素人の經 警ではあるが頗る熱心である。現在組合長以下役員は總て無報酬とし、全く獻身的に經營の任に當 って居り、使用人の如きも極度に節減して居るが故に、創立以来毎年多少の利益を奉げて居る。然
し其の業態の實際よう言ム時は甚だ宜しくない。此點は縄領事館あたりに於ても多少憂慮されて居 る。即ち組合の貸出金の大部分が大抵役員關係者側に傾して普遍的でないからである。此問題に 關しては在留同胞の間にも異論もあり、又當事者に對して懇切な注意を與へて居る向も有るが、今 日になっては素人の經營で急速に整理を断行し得ない情質的な關係があるらしい。又運用の方面よ り言ふも現在貸出金約武拾壹萬比の內毎月同收高は大略一割見當に過ぎず。魔て資金薄弱な為充分 なる機能を發揮し得ざる優みがある。其の外單に事務の方面より見ても著しく組織的でない所が多
次に當組合の昭和四年十二月末現在の資產負債表を舉げれば
資産
有賀證券
二〇八二三1c0 資 本 五、00六四五一定期預。
四五〇・CC|座預g 一四、七八八・〇四 第 一月掛貯 二、三九五〇四一第 二 月掛貯 五、000:00前期積立金
「今期純益金 二三五八七〇五三
1 五oooooo 三九、八一五・三、 101EC 一八四000||
行 當 座面 | 現金 別n預ヶ金
111180.0)
計預
八、O二八八四 1三、九二五二六 二三五、八七〇五三

利益金處分案 今期利益金|
一三、九二五・二六比 年一制の配當
七、五00・007 今期積立金
三、九七一・一六比 線越金
二四五四・一〇比
一三、九二五・二六比 而して本組合は末だ正式に登記して居ないが、比島官憲この間は現在組合員以外の者に金錢取引 をして居ないさ云ュ理由に據りて默認されて居る。又總領事ごしては直接監督權も何もないが、總 會の場合は信用組合に重きを置いて居ると云ふ意味さ、其の發達を激励する意味さに於て、必ず出 席し役員選舉の際は副領事を立會はして居るどの話である。 金利は普通貸出は一割二歩、小口は一割五分を定め、定期預金は八步さす。 頼母子講は從來より最も一般的な金融方法さして在留邦人の間に行はれて居るが、數年來你り に之を濫用し過ぎた結果、弊害族出して現在は全く其の餘驛に君窮して居る。之れは畢竟するに頼 母子講は大體に於て第二流以下の所を網羅して居る關係上、人數の割合に比して講の數が多過ぎて る事、今一つは其掛金が比較的に大なる事、之が偽大抵の者は毎月の掛金に追はれて資金に逼迫す
れば更に他の講に新規加入して共の分を落札して遣繰りをするさ云ふ行き方の様である。故に終に は行詰りて破綻を生する事に立ち到るのである。而して斯る不始未を防止する方法ごして、講金の 落札は保證人二名以上の連帯責任として居るが、此保證人が又各自の間に相互に保證し合って居る 為、頗る危険性を帯びて居る。若し破綻者を出したこなれば其の波及する所は那邊迄到るや質に測 り知られざる虞がある。實際過去に於て幾んご將基倒しとなりし例もあり、其の創残が今尚癒えず 逼塞して居る連中多しさ聞く。
然れば總領事館に在りては、此の弊を匡救する方法さして新に頼母子講聯合會を稱する自治的監 督機關を組織する様に慈題して、今春其の設立を見たのである。即ち聯合會は各頼母子講をして毎 回其の組合加入者、一口の掛金、債務者(落札者)の氏名並保證人關係等を詳記したる報告を提出 せしめ、其の報告によりて組合各箇の實情を知るき同時に、綜合的に各組合加入者の簡々にありて 其の債務總額及保證關係等を監督する。其結果不適當さ認むる者あれば之を脱退せしめ、或は實力 以上に多く加入して居る者に對しては中止を勸告するさか、其他落札者に對する保證人の關係等は 絶對に情質を排して最嚴密に審議して處理し以て積年の情弊を変除すると云ふ風に指導して居られ る。而して副領事が其局に當つて居られたのは前說の通りである。 上述の如き方法を以て當事者が自衛的立場をよく理解し警戒して行けば今後は大して弊害もあるまいかさ思ふ。加之頼母子講こ雖も、一概に危険視して排斥すべきものに非ずさ考ふる。地方によ りては全く唯一の金融方法であつて、獨り比律賓のみならず南洋各地到所に達して居る。唯之 等の地方に行はれて居る頼母子講は日本內地や臺灣邊りの夫れさは多少其の趣を異にして、前者が 主さして利殖を目的にするもの多さに反し後者は之れを以て直ちに活動の資源とするものが多い。 隨て掛金も比較的に多額である。且資金調達を急ぐ關係上一口よりも二口さ順次に加入口數を増加 して行く結果往々破綻者を生する事になるのであると思ふ。此點は當事者さして最戒慎すべき所を 思ふ。序に比律賓に於ける一回の掛金は月掛四十比乃至百五十比稀には二百比に及ぶものありさ謂 ム。然し普通は五十比若くは百比掛けのもの最も多し、

第四金融上の諸問題

總領事は素より一般在留民も今次臺灣總督府の南洋在住邦人企業援助に關する新施設「聲明さに 就ては新聞雑誌等により之を知り近く具體的に現るものさ大に期待し居た際にて、恰も華銀が? ニ ラに支店設置の偽渡來したもの如く早合點せる向も暫くなかった。夫程當地在留邦人は正金銀行 以外に Local business を取扱ひ、日本人に對して資金融通の便を與へ、且現在存立し居る信用組合 の如き金然素人の經營に係る金融機關の運用上に就き指導して貰へる様な専門的施設を熱望して居
たのである。
此點に就て越田融領事、正金銀行支配人及三井物産支配人等を歴訪して親しく諸氏の意見を求め た所を示せば次の如し。 –
越田總領事は最も熱心なる邦人金融機關設置論者にして、今次華南銀行が臺灣総督府の或方法 による背景を以て南洋方面妹に今日迄比較的近接の地に在りながら交渉少かりし比律賓に着眼 して在留邦人が最も渇望せる金融的施設を企劃して進出して來られる事となれば、邦人發展上多 大の貢献を招來する機縁さなるのであつて最も我意を得た所である。比島在留邦人の歴史は長き は二十年乃至三十年の年月を經たる者あれども、今日の如き確固不故の基礎を築き上げ他の南洋 各地に比し一頭地を抜きたる異常の發展を遂げたのは實に過去十年足らずの事である。今日相當 の資産を有し商業に従事して居る者も、最初は總て券働者として渡來し所謂雌伏時代を經て大に 新方面に轉出する機會を窺って居たのであるが、先立つものは金である。其處で思付いたのが最 も簡易な互助的金融方法である頼母子講を募り、之れによりて各自が資金を調達して商業に對し 拮据經營の結果終に今日の盛大を見るに到り大阪バザーの如きは年分販賀高武百萬圓以上、日本 バザー百萬圓以上其他三十のバザーが就れ十萬乃至 五、六十萬圓以上賣上高を有し、當地小資
商さして確乎たる地步を占めて居るのである。然し何時迄も頼母子講の時代に非まさし、遂に九二七年現在のマニラ日本人信用組合を組織して組合員の金融關係を調節し居る程度迄進展して 來たのであるが、何分資本金十五萬比預金約四萬比程度に止まり、之れを全額貸出して毎月約一 潮見當の回収資金により運轉し居る有樣にて、其資力微弱な為到底充分なる活動を望み得ないの は實に遺憾さする所である。折角今日の如き堅實なる基礎を擁し相當發展の過程に在りながら、 資金問題の為、挫折さまで行かずさも少くさる其伸展を阻止さる事は全く痛恨事である。然れ ば華南銀行が一日も早く當地に來り、之等邦商に對して金融の方法を與みることならば更に一 段を生彩ある發達を期待し得る次第である。
而して銀行の貸出方法等に就ても亦當地邦人間に於ては信用を重んじ義理を缺かない言ム美 風あって、未だて不始末を暴露したる事なく、相互に一致協力して扶助し合ふ長所がある。故 に或は厳格なる意味に於て言ふ銀行貸出の擔保さなるべき資料は無くさも、確實なる保證人二名 も連暑せしめば充分であるさ言つて可い。現に昨年(一九二九年)中邦人菓子商の一人が內外人 間に約二十萬比の負債を生じ既に破產に頻したる際、二、三の有力者相寄り善後策を協議し、結 局頼母子講を募集して資金を調達し、先づ第一に外人側に交渉して相當額の支掃を濟ませ、足らぬ 所は關係者の保證を以て一時猶豫を講ひ邦人側る亦保證人に於て引受け整理することになりて、 一應難局を手際よく収拾したる例があるさ。
又正金銀行支配人矢吹氏の意見としては、邦人相手の貸出を遣らないので随分非難されて居る が、正金銀行にしては本来の使命が為替業務に在りて地方的の仕事は定款に於て拘束されて居る
いから結局不可能を言京外は無い。ダバオに支店或は出張所の開設を希望する向も多いが 如上の理由で先づ見込は無いし、又資金關係より言ふも餘程の低利資金でも政府より供給されな い限り問題にならSさ思ふ。故に假りに華南銀行が進出して經營するさしても、餘程の低利資金 を使用して極小規模に営業せざれば引合ふまいそ思ふ。第一預金など大して吸集する事は期待出 來ざるべしさ。
更に三井物産支配人阿部氏は華南銀行が當比律賓方面への進出は泊に時宜を得たる方針で大に 歡迎する所である。由來正金銀行が當地に支店を開設したのは大正七年であるが、同行は主とし て為替業務に従事して居て、一般在留邦人の間には日本の銀行さして殆ど金融的惠澤を施して居 ない。同行の立場としては無理から引所であらうが、會社側其他 二、三邦人を除けば多數の邦人 にさりては全く不便である。故に之等の人々は第一に頼母子講、次に信用組合に加入して居る。 會員は信用組合によりて金融の方法を講じて居るが、頼母子講は昨今の不景氣に映されて掛金難 に陥つて居るものもあり、漸く危機を胚んで居るし、信用組合は資本金十五萬比位の小規模な經 管の為大した活動も出來ない始末で金融施設ごしては皆無と謂ふてもよい。而かマニラに於ける邦人の發展は他の南洋各地に比して傑出した素地を保有して居るが、之を支援して行く金融機 關を缺く事は大なる遺さして居る際である。今次の如き方針を以て専門的金融業者の進出は賞 に刻下の急務さ謂ふべく今後一層の發展を期する上に於ては何を措いても金融機關の改善、急設 に俟つ外はないさ思ふ。然れば華銀さしても最初數年間は所期の成績を奉げ得ない場合があるこ も、多少の犠牲を覺悟して是非何等かの形式で進行され度いざ、希望して止まない次第である。 要之總領事の意見は在留邦人の現在及將來の發展を基調にして、其發達を支援して行く特殊金融 機關の施設を力説して居るので、今日の情勢より見て極めて安當な説であり、阿部氏の說も亦單に 平易な必要論である。唯早見を以てすれば矢吹氏の言の如く預金は到底期待し難く、然れば必然的 に原價の極めて低率なる資金を必要さするが、斯る資金を得る方法もなからうし、又矢吹氏は極小 規模に經營すれば、引合ふさの恒なれど、此點は却て反對に考へらる。極小規模さ言へば勿論程度 の問題であるが、今日同地の事情より考察しては正金銀行さして或は小規模さ言ひ得ても華南銀行 さしては相當程度の事業に見るべきものがある様に思はる。隨て當行の現狀にては資金問題より考 へて差當りマニラには問題にならすと思ふ。

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